48歳で配当金生活。見事に資本主義の第1ステージを完全クリアした。そこまでは良かった。
ようやく到達した独身FIRE生活の果てに待っていたのは、「家と図書館を往復し、自宅を極限まで断捨離するだけの、まるで完璧に手入れされた盆栽のような毎日」だった。
寂しさが頭をよぎらないわけじゃない。「人間関係ゼロなのがよくないのかな」と人生を省みたりもする。
すぐに投資家脳をフル回転させ、「親友」というアセットを新規に獲得するためのコストを冷徹に計算し、即座に真顔に戻ることになる。
心理学の統計データ(カンザス大学の研究等)によれば、人間が単なる知り合いから「親しい友人」にステップアップするには、最低でも約200時間の共有時間が必要らしい 。
学生時代や職場の同期といった、最初からシステムに組み込まれた「環境型友人」であれば、日々の生活自体がこの時間コストを強制的に回収してくれた 。
つまり、実質的な仕入れコストはゼロ、ノーリスクのインフラ投資だったわけだ。
しかし、このインフラを持たない我々FIRE達成者が、ゼロから親友を作ろうとすると、この200時間を完全に「自腹(プライベートの可処分時間)」で捻出しなければならない。
この取引をバリュー投資の目線で監査すると、あまりにも恐ろしいテールリスク(下振れ要因)が浮き彫りになる。
- タイムパフォーマンス(タイパ)の著しい低さ
自分の貴重なキャッシュ(時間)を200時間投じても、相手が本当に優良銘柄(一生モノの親友)になる保証はどこにもない。
途中で「実は価値観が全く合わない紙クズ銘柄」だと発覚すれば、その200時間は残存価値ゼロの完全な埋没費用(サンクコスト)となる。 - 不確定要素(ボラティリティ)の高さ
40代を過ぎて独自に凝り固まった自分の脳内に、他人の感情やライフスタイルという「予測不可能なライブデータ」を割り込ませるコストはインフレする一方だ。
世間の人々が、週末に「大して楽しくなさそうな会社のBBQや同窓会」に渋々参加しているのを見て、これまで不思議でしかたなかった。
しかし、彼らは彼らなりに、この200時間の新規投資コストを支払う資本がないため、手元にある「環境型友人」の維持管理コスト(マンションの修繕積立金のようなもの)を必死に払い続けて席を守っているのだとようやく気付いた。
結論として、孤独な独身FIRE者が「親友ができない」と右往左往するのは、人間性の欠如でも狂気でもない。
「200時間の純損失リスク」を脳が正確に検知し、期待値が著しくマイナスであるハイリスク・ローリターンな投資を、自己防衛のために正しく「損切り(見送り)」し続けているだけなのだ。
ただ、あまりにも完璧に損切り(友人ゼロを維持)しすぎた結果、手元には「使い道のない過剰なキャッシュ(無限の可処分時間)」が残り、今日もブログを書いて退屈を処理するハメになっているわけだが。
